８８・六甲颪が聞きたくて
松井のタイムリーで巨人が先行した試合は、入来・谷中の力投で１−０のまま中盤戦に突入した。ちなみに近鉄ファンの私はセ・リーグは苦手である。同行の高橋くんとの会話も、
「谷中って誰？ そもそも読みは？」
「今シーズン入来は二桁勝利を挙げて兄弟オールスター出場を決めたんだ」（この時点でまだ９勝。１０勝しているのはヤクルトの兄）
「巨人のローテーション？ 入来と上原、ええと……斎藤かな」（このときメイ、工藤は怪我）
と頼りない。
特に理由はないが我々はベテランファンである。初回守備に就いた広澤の姿に釘付けになり、ファンサービスのボールを取りに群がるほどである。取れなかったが。横着そうにボール回しをする姿を目に焼き付ける。「広澤の勇姿を目の当たりにするのも最後かもしれない」と思うと打席に立つ前から感動もひとしおである。と思っていたら逆転ツーラン。広澤らしく右打ちである。２−１。
しかしその裏、仁志のタイムリーで同点にされるタイガース。
５回表。一死から赤星フォアボール。二番今岡は送りバントの構え。失敗。強攻してショートゲッツーという最悪のパターン。その裏、松井の八年連続となる２０号。まさに弾丸ライナーである。重力も空気抵抗もないかのように打球はライトスタンドに飛び込んだ。２−３。
「お、お、おさむちゃん、でええええす」
とは言っていないかもしれないが、６回先頭濱中おさむの６号ソロ。さらに桧山にも打たれ、入来は降板。腕もよく振れていい感じだったのだが、高目の直球にタイミングを合わせられたようだ。阪神の攻撃はまだ続く。右安・四球・中安・中安、これで得点は零。さてなぜでしょう。答えはライト前ヒットの桧山が牽制で殺されたからです。よよよ。谷中を代えて勝負を決めに出た代打塩谷、ショートゴロでがっくり。投手は唯一の「ドラフト十位」、元大工の田畑。
しかし。実はこのところ阪神は巨人に自信を持っていた。今日勝てば十七年ぶりの巨人戦六連勝となる。７回、赤星が柏田（元大リーガー）からバントヒット。今岡が（今度は）きっちり送る。桧山が猛打賞を決めるツーベース、そして広澤が今度は、左中間へ大ホームラン。いよいよもって最後の一花かもしれない。盛り上がる三塁側スタンドの阪神ファン。いっしょに喜ぶ高橋と私。６−３と突き放す。
しかし、場違いなことに、自分の斜め前からも歓声が上がっている。ベージュの花柄、肩を大きく出したワンピースの女性。歳は我々と同じかやや下であろう。顔は見えないが、うなじが何とも色っぽい。「場違いなタイガース姉ちゃん」と命名する。自分のことは棚に上げて。
ラッキーセブン。蓋をされた場内に拍手が響き渡る。三点ビハインドの巨人ファンは、ジャビットに合わせて拍手、なんとかガールに合わせて拍手、飛行船に合わせて拍手（それは嘘です）。
名勝負その一。松井対遠山。沸き立つ場内。考えてみれば『（初代）プロ野球ファミリースタジアム（ファミスタと略される前）』に出ている阪神選手は彼だけである（広澤は当時ヤクルト、また巨人の清原は西武在籍）。左殺し、松井キラーとして名高い遠山の気魄のピッチング！
フォアボール。しかも最後は逃げるような外れっぷり。
名勝負その二。打席にはその清原。ここで知将（とされる）野村監督が動く。
「ピッチャー藪」
沸き立つ場内。しかし沸き立ちぶりがさっきとはちょっと違う。
「藪、ぶつけろ」「当てろ」「ホワイトアウト観たぞ※」
ビールをお召しになった関西弁がどすを利かせる。ファンはわかっているのだ。※映画『ホワイトアウト』の主演、織田裕二に彼が似ているところからきたと推測される。
……ちょっといい音が聞かれたが、ライトフライに倒れる清原。行け行けタイガース。江藤も抑えちゃえ、藪。かきーん。ツーランで一点差に追い上げられる。６−５。
ちなみに藪は「ヒット三本打たれるとわけがわからなくなる」という捕手からの証言があるが、試合後のインタビューで「調子？ 見たらわかるだろ」と噂どおりだった。
両軍必死の継投。このままいけば勝利投手は遠山だ。阪神はリリーフエース福原、巨人は三浦、河本とつなぐ。９回裏、阪神は前の回打者三人をたった六球で抑えた福原を簡単に代える。西川。誰だそれ。西川というと私は「オープン戦でノーヒットノーランを演じたというえらいんだかなんだかよくわからない南海の球が遅い投手」を思い出す。後で思い出したのだが昨シーズン途中近鉄からトレードに出された左腕、西川慎一だ。確かに、高橋由・松井と続けばサウスポーを出したくなるのが人情であろう。応援するぞ西川、あと三つアウトを取れば六甲おろしだ。かきーん。
ヨシノブ２１号同点ソロ。「ああん」と悲鳴をあげたのは西川でなくてタイガース姉ちゃんである。お通夜の左翼席。「延長かよ」とぼやく我々。
そんな心配はいらなかった。ノーアウトニ三塁でリリーフ葛西からバックホーム体勢のセンター赤星の頭上を越えるプロ十三年で初のサヨナラヒットを放った六番打者江藤は、一塁を踏んだあと長嶋監督と固い握手を交わし、お立ち台で言葉をつまらせた。