８０・山伏の湯
いつのころからか、旅には温泉が欠かせなくなった。
檜（ひのき）風呂だと言ってはよろこび、湯が白いと言ってはよろこぶ。特に私はいい年をして体のどこかに擦り傷や切り傷を作っている不注意な性格なので、薬効の強いお湯に入ると得した気分になれる。
韓国でも、ハングル文字の地名だけを頼りにバスを乗りついで温泉に行った。韓国語はほとんど忘れたが、温泉の「オンチョン」という読みは数少ない例外である。タイル張りの清潔な浴室で、カランが日本の「ＴＯＴＯ」製であるのには驚いた。日本で北欧の家具をありがたがるようなものであろうか。
そこでいまだに覚えている光景がある。小さい女の子が父親であろう人物と入浴したこと、ではなく（しっかり覚えているではないか）、片腕の男性がいたのだ。腕の付け根というか、腕のあった部分には引きつったようなすじと、あろうことか、黒い毛が生えていたのだ。その毛は腋窩（えきか）の隙間を保護するために生えているはずである。保護するものを失っても伸びて生え変わるという代謝を繰り返しているのであろう。ただでさえ縮れている毛が不憫に思えたものである。
もうひとつ韓国での話。こちらは温泉でなく普通の銭湯でだが、韓国人男性はよく風呂場で歯を磨く。女性は現場を見ていないのでわからない。もちろん日本と同じく歯ブラシで磨くのだが、マイ・ブラシを携行している様子はない。とすれば答えは一つしかない。
「みんなで仲良く歯ブラシを使い回している」
のである。
もちろん、垢すりが名物になっているほど韓国の人はきれい好きである。歯ブラシを風呂場の床にじかに置いておくようなことはしない。スーパーで売っているような苺のパックに十本も入れておくのである。一本ひょいと取って蛇口の水で湿らせ、練り歯磨きなど使わずおもむろに口に突っ込む。磨いたあとはカランに口をつけその水でうがいを済ませるのだ。とうぜん使い終わった歯ブラシは苺パックに戻す。
そして先日、月山に行った折りにある町の温泉施設を利用した。
「山伏の湯」
出た。山伏である。法螺貝を吹いて勧進帳を読みそうだ。ぶおおうぶおおう。三枝の国盗りゲーム。白いぼんぼりの上着を着て足には高下駄、顔は真っ赤で鼻は突き出るよう。それは天狗だ。
入り口では同じアナウンスが繰り返されている。「本日は大変混み合っておりますのでご了解の上お入りください」 そう言われたからといって後には引けない。
満員。洗い場が埋まっているだけでなく、行列が蛇のようにうねっている。全裸男性が一列になって手持ち無沙汰にあらぬ方を眺めている、というのはどことなくシュールだ。
行儀悪く浴槽からお湯を汲んでかぶる。新自由クラブから、自民党に入れてください。それは入党。新郎新婦が手に手を取って。ケーキ入刀。ちちあたまと呼ばないで。乳頭温泉郷。よし、話題が戻った。入湯。
次にサウナに入ることにする。ドアに「バスタオルを持ってお入りください」、そう言えば入り口で５０円にて貸し出していた気もする。珍しいな、とは思ったがそのときはそれだけだ。サウナ室の内装はよくある様式で、階段状に組まれた木材の隙間からも熱気が吹き出ている。さっそく座ろうとしたが尻が止まる。
何も敷かれていないのだ。
普通はマットがあるはずだ。これでは座るわけにはいかない。大事なところに高熱の蒸気が当たったら大変である。よく見れば皆さんバスタオルを敷いている。なるほど、そんなに５０円が欲しいのか櫛引町。バスタオルを抽選で何人かに一人にプレゼントすればいいのに。それはくじびき。地元の人はバスタオルを持参しているのかもしれない。しかし浴室にバスタオルを持ち込んでいいのか。仕方がないのでタオルを折って尻の下に敷き、組んだ手で股間を隠す。片手でも間に合うのだが、念のため両手だ。何のためだか。あたかも水泳パンツを流されてしまったかのような風情である。
そこへ新たなる客がやって来るが、わたし同様小さなタオルしか持っていない。未熟者め。と思っていたら彼は私の知らない奥義を見せた。タオルの後半分をお尻の下に敷くと、前半分で陰部を隠したのだ。一枚二役。これが山伏の知恵か。
上がって脱衣場で着替えていると、カブスのサミー・ソーサに似た男に出会った。上背もなく下腹も出ているので、その辺はツインズのカービー・パケット似だ。上は裸で下はジャージ姿で、褐色の肌が乾いているところを見るとこれから入浴するのであろう。そう言えば黒人はとある器官が日本人平均を上回っているとは本当だろうか。世界記録はスーダン人だというし。
黒人「旦那さま、ナニを１フィートにする方法を知ってやすか」
白人「どうするんだ」
黒人「簡単でさあ。アレを二つに折り曲げるんでがす」
心に去来するのはこんなジョークだ。しかしこれは「日ごろ虐待されている南部の黒人」が「威張っている白人の主人」（当時の社会背景ね）の鼻を明かすという秀逸なブラックジョークだと思うのだが。
ほかにも洗い場に腰掛けていて、隣りの人が何の気なしに熱湯を床に捨てたら隣りの黒人が
「熱いっ」
と飛び跳ねたという話もあるし。いったい彼はどんな魁偉（かいい）なものを持っているというのだ。ジャージを脱いで胸と口にせわしなく指を当てて「ソーサです」と言ってくれたら最高だが。……。
結局なにも見ずにその場を離れたというのが、日本男子たるぼくの行動であります。報告終わり。