５１・氷川台２５時
「一年生は新歓コンパで何か芸をしてもらうから」
……憧れの東京での大学生活を始めた我々に最初の試練がやってきた。森閑たる東久留米市氷川台（ひがしくるめし・ひかわだい）にそびえ立つ雄辿寮に入寮した新入生は、酒席で一芸を見せ先輩をして驚嘆せしめなければいけないのだ。
「パトリックが外したら俺が芸をしなきゃならないから、おもしろいのやれよ」
とは同室の先輩である。
ちょっと待ってください。私は一週間前に秋田から上京してきたばかりの華の１８歳、コンパ慣れした大学生の頬を和ます宴会芸などできるものか。くううっ、たまに新聞に通信教育が載る、手品でも習っておけばよかった。あるいはマッチを燃やすと茹で卵が牛乳瓶に入るネタをやろうか？ それともハンカチに刺したはずの安全ピンが動くネタ？ うわあそんなの周知の魔術である。
「Ｂ階のヤツは皿回しが得意で、もう何人かに見せているらしい」
そんな情報が入ってきて私の心を苛立たせる。皿回しか。うらやましい。皿回しに対抗できるのは、猿回し。ああ下らぬ。今から思えば全くうらやましくないのだが、当時は彼の才能に心肝から嫉妬した。
四月某日夜７時３０分。雄辿寮会議室にて新歓コンパが始まった。先ほど「Ｂ階」という表現が出てきたが、この寮では２階をＢ階、５階をＥ階とアルファベット表記している。Ｂ階１室から新入生の芸の披露が始まる。
指の関節を思わぬ方向に曲げる者。
ローラースケートを履いて（当時流行っていた）光ゲンジの『パラダイス銀河』を歌う者。
艶笑歌を歌う者。……１８歳の発想ではないぞ、それ。
ご当地の民謡を歌う者。……工夫がないぞ。
私は酔っ払っていたのではっきりした記憶がないのだが、きらきら光るものが彼に向けて飛来した。なんだ？ 王冠だ。かように下らぬ芸には手近な凶器、ビール瓶の王冠がつぶてとなって飛来するのだ。これでは半端な芸は見せられぬ。今更ながら震撼する私。
その後、ウォツカを飲んで火を吐く者があったり、ギターの弾き語りに向かって同じ一年生が「そのギターワークはなってねえ」とばかりに殴りかかり乱闘になり同室の先輩たちが分けに入るというあたかも星野ドラゴンズのような肉弾戦があったり、尻ぬぐいに立った先輩が神官となってＵＦＯを呼んだり、たいへん楽しませてもらったのだが、順番はいずれやってくる。
私の番だ。テレビでボードビリアンがやっていてたいへんおもしろかったパフォーマンスをやらせてもらおう。埃っぽい床を踏み締め、脚のパイプが錆びきったテーブルの上に昇る。それがステージなのだ。同室の先輩から、尿素樹脂製のどんぶりに日本酒をなみなみと注がれる。銘柄は東京の地酒、「居酒屋」であろう。一升６８０円の日本酒だ。私はスコッチの方がいいのだが、同量のスコッチを一気で飲んだら新患として白と赤のワゴン車に乗る権利が与えられるので遠慮しておこう。両足を肩幅の倍に開いて叫ぶ。
「Ｄ階１１室ぅ、Ｂ類ぃ英語科ぁ（大学の学科である）、パぁトリックですっ」
それが見えざる信管となって、「押忍」と会議室に怒号が炸裂する。
「ひざを、入れ換えますっ」
ひざに手を置き、開いたひざを真ん中で合わせるなり、右手と左手を置き換える。これを高速で行なうことによりあたかも右ひざと左ひざがお互いを通り抜けることができる（ように見える）のである。
「はっ、はっ、はっ、はっ」 ぱんぱんぱんぱん、とひざがぶつかる音がリズミカルに木霊する。
「はっ、はっ、はっ、はっ」
どうだ。お笑い系マジシャンの一方の雄、ナポレオンズの芸である。もう一方はマギー司郎だが。
見よやこの芸。居並ぶ先輩も指をさして笑っているではないか。
……それにしても、王冠というものは当たると痛いものだ。
その後、先輩たちの芸に続いてある音頭が歌われた。バラクーダの『日本全国酒飲み音頭』である。９０人もいれば全国ほとんどの都道府県をカバーする。しかし歌うだけではない。私で言えば「あーきーた、あーきーた」と連呼されている間に例の尿素樹脂容器に日本酒を注がれ、音程もままらぬまま、
「あーきたーは桜田淳子で酒が飲めるぞう酒が飲めるのめるろはけがのめうろ」
と呂律（ろれつ）も回らなくなるほど一気飲みするのである。時はバブル華やかなりし１９９０年、とんねるずの歌にもあるように一気飲みブームの真っ盛りである。たしか私は「桜田淳子」と「なまはげ」と「あきたこまち」をお題に飲んだはずである。しかし「あきたこまち」で酒が飲めるか。酒米（さかまい）でもないし、ご飯で飲んでどうする。……最近はあんパンやパイナップル缶詰めをつまみにしているが。
さすがに一気飲みをくり返し大声で間断なく斉唱を続けていると酔いが回る。つぶれた順に一人消え、二人消えして、人数も２０人程度になった今、雄辿寮の陰のイベントが始められようとしていた。
ハ○○軍団である。
心得ている先輩が先に抜き出す。シャツ。ショートパンツ。そしてトランクス。
中間管理職である二年生も脱ぐ。ここに来て一年生に選択肢はない。脱ぐ。もちろん「畳む」などという行動はとらない。つま先にかかったトランクスを邪魔そうに振り払う。
「おーおおーおおうおーおー」
言語にならぬ叫び声を上げて寮内を走り回る。
「これが○ダ○軍団だーあ」
「これで名実ともに雄辿寮の一員ですね、先輩っ」
「そうだあ、いくぞおおお」
「我ら雄辿寮生、心は一つじゃあぁあぁあぁ」
居住階であるＢ階からＥ階を走り抜けるだけなので、飽きる。そこでとっくにつぶれて寝ている人たちの部屋をノックして、
「起きろぉ、なんでこんな大切なときに寝ているんじゃあ」
と理不尽にたたき起こす。どこが大切なのかよくわからないが。
なんとかと煙は、というやつで「ナントカ」たちは日ごろ行くことのない屋上に自然に集まる。深閑とした東久留米の夜景が目にしみる。アルコールに汚染された目には、家々の光が滲んで見える。
「美しいじゃろ、雄辿寮の屋上からの景色は」
「はいっ！！！！」
○○カ軍団たちは先輩の指さす先を見つめる。これまで感じたことのない連帯感を胸に秘めて。これから始まる大学生活、体験したことのない寮生活に、期待と不安を詰め込んで。
日付も変わった午前一時。屋上を囲むフェンスに指をかけ、一つずつ消えていく町の灯りを飽かず眺める。春の夜風に、股間のものをぷらぷら吹かれながら。