３１・クワッドに乗ろう
「ヨーコさん、こっち！ その下のクワッドに行こう！」
一月の晴れた日曜日。ここはＰ県のスキー場。ヨーコさんというのは、私の従姉である。小さいころから年に一、二度会う間柄である。
それから一分ほど滑り、リフト乗り場に到着した。クワッドというのは四人乗りという意味であるらしい。
「これは、四人乗りクワッドリフトです。仲よく、マナーを守ってお乗りください」
テープでアナウンスが流れる。しかしリフトというものはマナーがうるさい。煙草を吸うな、列に並んで待て、初心者は外側に座れ、搬機を揺するな。でも考えてみればどれもこれも当然のことばかりである。親切と言ってもいいかもしれない。
「今日は混んでおりますので四人にお詰めください」
これは肉声である。すいているときは一人で乗ろうと二人で乗ろうと勝手なのだが、今日は相席を強いられる。ヨーコさんと私、そして会社員風の男性二人がクワッドに座った。
「クワッドは脚を乗せられるからいいね」とヨーコさん。
同感。何度もクワッドを使っているのだが、やはり声に出てしまう。と、そのとき。
「こんにちは」
となりの人だ。二人は、どうやら仲間らしい。と言うことは私たちに挨拶していると思われる。
「……あ、こんにちは」と私たちも挨拶を返す。
「どちらからいらしたのですか」と先ほどの男。……え、あ。なんだなんだ。
「秋田です」とヨーコさん。私は「秋田」という地名を口に出すのにためらってしまった。どうやら田舎のコンプレックスに囚われているらしい。反省。
「今日は天気がよくていいですね」
「ええ。本当に。ちょっと雪はべたつくけれど、気持ちがいいですよね」
「よくこのスキー場にはいらっしゃるんですか」
ヨーコさんと男性二人は、闊達に会話を交わしている。私は端っこの座席ということもあるが、会話に参加できないでいる。なんだなんだ。私もこういうリフト上でのナンパは見たことがあるが、そういう下心は微塵も見られない。どうやらこの二人は会社の先輩後輩で、昨年の人事でＰ県に異動してきたらしい。
「いやあこいつがスキーしたことないって言うものだから、せっかくＰ県に来たのにスキーしないとは何事だ！ってね」
「強引なんですよ主任は」
「えー、そうなんですかあ」
すっかりヨーコさんは調子を合わせている。昨日の夕食のジンギスカンが美味しくなかったこと、その後輩さんが初めてリフトに挑戦したとき、横にぱたっと倒れてリフトを止めるは係員に抱き起こされるは大変だったこと、景気が悪くて三月の決算期が恐ろしいことなどを手振りつきで談笑している。私の隣の三人が。私が会話に加わっていないことにヨーコさんが気付いた。
「ねえパトリック、なんか暑くない？」 ああ、そうだね。
「開けましょうか」と先輩さん。「土田、そっち持ち上げて。せえの」とクワッドに覆い被さっているキャノピーを開けた。
「……あ、すみませんね」と私。そのあとも彼らはにこやかだった。
「ガムあるんだけれど、食べません？」
「あの足跡なんだかわかりますか。Ｙの字型の。あれ、兎なんですよ」 ヨーコさんは首をかしげる。
「ほら、途中で途切れているでしょう。兎はちょっとバックして横にぴょんと跳んで、敵の追跡をごまかすんです」 いや、その。私は知っているんだけれど。
「しかしスキーでデートってのもいいですよね」
「こちらの方も別嬪さんだし、そちらもスキー上手そうだし」
おいおい。何をもってそう言うのか。理由を述べよ。あ、ヨーコさん、しれっと礼なんか言っているよ。終点はまだか。「２０／２５」 あと柱五本の我慢だ。
「滑るほどに愛が深まっていったりしてね」
「白銀のメレンゲに愛のシュプールを！」
「ゲレンデだろっ」と裏拳を入れている。
だからデートではないのですよ。うう、言い出せぬ。かと言って自分から「従姉ですよ」というのもまた出来の悪い言い訳のようで信じてもらえまい。従姉で悪かったなあっ、と心の中で叫んでみる。ヨーコさんは、というと「やあだあ」などと黄色い声を出してみせている。
なんとかしてくれ、という私の願いが叶うときが来た。終点である。
「楽しくて時間があっと言う間でしたよ。ではよい休日を」
「お気をつけて」
「はあい。田中さんも土田さんも、まったねぇえ」 いつの間に名前まで聞き出したのだ、ヨーコさん。しかし初対面でよく打ち解けられるものだな。
「え？ どうってことないわよ。あんたこそいい年して人見知り？」
しかしなあ。……釈然としないものを抱えたまま、再びリフト乗り場まで滑り降りた。順番を待つ間、ほかの人を観察することにした。
「こんにちは」
「よろしくね」
「どこからいらっしゃったんですか」
そしてアナウンス・テープ。
「……これは、四人乗りクワッドリフトです。仲よくマナーを守ってお乗りください。……仲よく……」