我が子ポーシャが大学に合格して、毎日なにかの手続きをする日々が続いた。大学入学。入学金。学生会館入寮応募。生協や同窓会の加入。火災保険。自転車保険。東京電力。東京都水道局。電子レンジと炊飯器の購入。上京の電車と妻スージーのホテル予約。スージーが入学式に行く電車とホテル予約。駐輪場から自転車回収。これが妖怪すねかじりか。
ポーシャは高校の「大学合格を聞く会」へ凱旋。後輩の前で合格体験記を一席ぶつ。モットーは「七時間半睡眠を守る」。生まれて初めて美容院で髪を切ってもらう。半年ぶりのバンドライブ出演。家族で焼肉。バンドメンバーと焼肉。友達とごはん。浜辺でシャボン玉遊び。連れて行くぬいぐるみの選定(悩んでいる)。スニーカーをねだる。アイスバーに舌鼓。
居間でスージーの膝下で寝っ転がっている。見ればじゃがりこ(たらこ味)を食べさせてもらっている。餌付けか。スージーは食べさせる寸前じゃがりこを自分の口に入れ、遊んでいる。「むー」と怒るポーシャ。十八歳だけれど。
「パソコンが欲しい」
三ヶ月前のクリスマスにサンタさんからノートパソコンをもらったのに。
「あれは重い。サーフェスが欲しい」
最後のクリスマスプレゼントに「きっと喜んでもらえるだろう」と選んだ、いやサンタさんにお願いしたのに。中古品とはいえHDDをSDDに換装したいいものなのに。
陥落。サーフェスではないが1kg未満の軽いラップトップを購入。ごめん中古屋。サンタパソコン39,800円。新パソコン44,800円。
「入学式のアルバムが欲しい。みんな留学するから卒業はそろわない。だから入学式のアルバム」
16,000円なり。来月のクレジットカードの請求が怖い。
二十日を過ぎると雰囲気が変わってくる。荷造りが始まり、ひもで縛られた布団が転がる。
会館には三月中に入居できない。四月二日に新入生歓迎会がある。自動的に上京は四月一日に決まる。
三月二十三日(木)。帰宅するとスージーが口裂け女にでも出会ったような青ざめた顔をしている。
「ポーシャの物を整理していて、ちっちゃいころの傘があって、なんとか捨てたけれど、ちっちゃいころの靴を捨てられない」と泣き出す。
ポーシャも体調を崩して離任式を休んだ。
「手を握って離さないんだよ」
三月二十六日(日)。街のお菓子屋さんへ。
三年前の高校入学説明会で「合格記念どらやき」が売られていた。注文すれば入学式に受け取れる。帰り道に娘が「どら焼き食べたかった」。言えばいくらでも買ったのに。入学式の日、真新しいセーラー服に白い紙袋を提げた新入生を何人も見かけた。心に引っかかっていた。
高校二年生の夏、海外交流プログラムに参加した。ところがコロナでアメリカには行けず、留学生を呼んだり海外とズームでつないだりする内容に変更になった。意義はあるけれど、代金はちょっとした旅行に行けるくらいかかる。それでも娘は国際系志望なので申し込みをした。するとお菓子屋さんを含む同窓会さんが代金の補助をしてくれた。このお菓子屋には借りがある。
店長さんを呼んでお礼を言う。「娘が高校を卒業しまして、東京の大学に決まりました」 あれ涙が。なんとか震える声で海外交流のことを説明し、「お世話になりありがとうございました」と言い切った。女性店員は「さっきまで社長がいたんですけれどねえ」。そこまでツキは持っていない私。
お菓子を買っていきなり泣き出す男性なんて、店員さん、怖かったろうな。
三月二十七日(月)。ポーシャは中学の友達と遊びに行った。
スーパーで買物。すみっコぐらしのかまぼこがある。小学生のころ、大好きだったな。ファンシーショップで文房具やキーホルダーを見つけて、はにかみながら「これ買って」と差し出すのがかわいかった。初売りでパジャマを買ったな。さすがに中学生になったらグッズは集めなくなったが、思い出にしろくまやねこやとかげ、とんかつ、エビフライのしっぽを食べてほしい。
パジャマは今も着ていた。
三月二十八日(火)。ポーシャを連れて郵便局へ。三年前、中学を卒業した春休みに、社会参加への自覚を促そうと、印鑑を作り、ゆうちょの口座を開設したのだ。県外の大学に進学したら仕送りをすることになる。郵便局なら全国どこにでもあるから。
目論見通りになった。十万円を入金し、下ろす練習をさせる。
「暗証番号が違います」
ポーシャはゆうちょを一度も使ったことがない。国からの支援金を入金したことはあるがそれは親がしたことであり、そもそも入金に暗証番号はいらない。それらしい番号を入れたが「違います」。
窓口に相談。番号照会は一週間くらいかかる。とりあえず現金で五万円を下ろす。
三月二十九日(水)。私も旅立ちの準備を始める。荷物を送り届けるのだ。これを聞いた周囲の反応。
「宅配で送れ。危ない。いつまでも若くないんだよ」と実家の母。
「東京まで?! 考え直したほうがいいよ」と同僚。
理屈で考えるとその通りだ。危険で、体力も削られる。家族でクルマでディズニーランドに行ったことは何度かあるが、三人で行くから経済的なのである。私一人で行くのならば電車の費用とあまり変わらない。
それでも行く。クルマで行って踏ん切りをつける。そういう儀式だ。
昼下がり、ポーシャが突然「散歩に行こうよ!」と誘う。ふつう散歩に誘うのは運動不足を嘆くスージーの役目だ。
今年は花粉症がひどい。社内の引っ越しでばたばたして目薬と点鼻薬を置いてきてしまった。かまうものか。今日はどんなに花粉が渦巻こうとも、散歩に行く。
スージーの実家へ。おばあちゃんと梅を見る。記念撮影。おばあちゃんがポーシャの手を握る。
町内を歩く。保育園のわきを通る。バネ遊具にブルーシートがかけられている。「どうしてだめなの」といぶかしがるポーシャ。自分が遊んだ遊具が老朽化するのを見るのは寂しい。
公園のテニスコート。「バドミントンができるね。ラケットを持ってきてよ」とスージー。もっと来ればよかった。
公園で梅の写真を撮る。桜はまだ。遠くに山が見える。
小さな男の子が寄ってくる。小さな手を差し出す。コロナの感染が、と躊躇したが、意を決して手を出す。タッチ。
「タッチしたよ!」とママに報告に帰っていった。優しい人だと思われたのであろう(自慢)。
ポーシャは「かわいい、かわいい」と繰り返している。
ポーシャは梅の写真を撮り、親は梅の写真を撮るポーシャにスマフォを向ける。
梅の花、桜のつぼみ。半分の月。雪をかぶった山。薄青の三月の空。保育園児。ポーシャのまわりに、きれいなもの、かわいいものがたくさんありますように。