妻のスージーが切手を欲しいと言う。アイスキャンデーの懸賞に応募したい。ポケモンのミニ水筒が当たるというのだ。手持ちのシール切手「国宝シリーズ第１集考古資料」を出す。火焔土器や船山古墳の鏡がモチーフになっている。スージーはどれを使うか迷い、娘のポーシャに声をかけた。
「ねえ、どのはにわを使う？」
どのはにわを使う。今の時代にはなかなか聞かれない質問である。
クルマ屋に行くのは好きだ。明るい店内。ぴかぴかの展示車。清潔なトイレ。ふだん読まないモノや料理の雑誌。綺麗なお姉さんがサーブする飲み物。そういえばアイスコーヒーをぶちまけたことがある。ごめんなさい。
こまめにオイル交換をする方針だ。以前はインパネにメモ帳を置いて走行距離を記録し、4,000kmで交換をしていた。どうしてか。大学時代友達の森谷くんがイギリスに留学し、彼の原動機付自転車を預かっていたことがある。あるときガソリンは当然入れていたがオイルの注入を忘れエンジンを駄目にしてしまい、新しい原付きが買えるくらいの金額を支払って修理したことがある。森谷くんはそれを知っているだろうか。
いつもの六か月点検の案内が来たので予約する。ほどなくゴールデンウィークフェアのちらしも来る。ご来店でラップや洗剤などちょっとした品物がもらえるのだ。某技研だったクルマメーカーは値引きはあまりしないがこのような副次的サービスがよいので我が家にはアシモの毛布や手ぬぐいがいくつもある。初売りに行けば福袋がもらえるのが当然と思っていたら、妻が乗っているズームズームなメーカーからは福袋をもらったことがない。
もう十一年になる車なのでここ数年は「買い替えませんか」の圧力がすごい。リーマンショック依頼景気はわるいはコロナ禍で物流は滞るはロシアがウクライナに侵略するわ半導体はないわ、販売は必死である。担当営業さんは３ナンバーのちょっといいクルマをプッシュしカタログを持たせる。私は車幅感覚に自信がないのでそれはいらない。
買わせたいのはわかる。しかしこちらもお金がないし、娘の大学受験を控えている。できれば長く乗りたい。
来店。「気になるところはありませんか」
そういえば妻を乗せたとき「乗り心地がふにゃふにゃする」と言っていた。たしかに言われてみればそんな気もする。タイヤの空気圧は夏タイヤに替えたときにガソリンスタンドで見てもらったから間違いはない。
「……足回りがふにゃふにゃします」
しばしモノ・マガジンを読む。エアコンのフィルタを交換してよいか聞かれる。そこまではいい。
「サスペンションが古くなっています。見ていただきたいのですが」とサービス。
工場（というのか）に行くとクルマが持ち上げられている。サービスさんはクルマの下にもぐり込んで部品を照らす。彼は慣れているだろうが私は「今クルマが落ちてきたら即死だろうなあ」と怖くてすくんでしまう。
サスペンションが古くなって性能が落ちていること。燃料パイプにサビが発生していること。驚いたのは姿勢を感知するセンサーの棒がぽっきり折れていることだ。
「前席にだけ乗っているときはライトが下を向くから上を向けてやるんです。そのセンサーが壊れているということはいつも足元ばかり照らして暗いでしょう」
そのとおり。最近はちょっと田舎道を通ると（たいてい田舎道だ）ハイビームを使うようになった。原因があったのか。
席に戻る。そこから怒涛のトークである。もうすぐマイナーチェンジがあって新しいタイプが出る。半導体不足で納車が半年も待つ場合もある。サスペンションを交換すると十万円、ヘッドライトセンサーを直すと二万円以上かかる。中古車ではまたすぐに買わなければならない。今買えば最新技術を楽しむことができる。営業さんとサービスさんが交代交代で説得しに来る。
前のクルマもそうだった。十五年間、二十万kmを走って、点検に出すと「もうエンジンが限界です。修理すれば何十万円とかかります」と買い替えを勧めてきたのだ。
エンジンが動く限りは乗るつもりだったが、足回りや燃料系がわるいのは致命傷である。やはり買わなければいけないのかなあ。また借金の日々か。
時間だ。娘を駅に迎えに行く時間が迫る。立ち上がりエアコンフィルタの支払いを済ませ、店を出る。商談を打ち切ったように見えたかもしれない。
帰宅。ゴールデンウィークフェアのちらしがある。
あ。プレゼントをもらっていない。
フェアなら店先に品物が積まれているはずだが、見なかった気がする。
店のホームページを開く。プレゼントを並べて笑顔のスタッフの写真がある。フェアはあったのだ。
妻は「もらってくれば？ 今、行け」と背中を押す。押されてもちょっと。
なにか理由をつけて明日行くわけには。そんな理由はない。そんなに欲しいのかラップと洗剤。欲しいわけではない。私はラップをめったに使わない。洗剤も足りている。機会を逸したことが悔やまれるのだ。娘を迎えに行こうと心に余裕がなかった。
ぴろりん。「メールが届きました」 クルマ屋からである。「アンケートをお願いします」
接客も説明も問題はない。よい評価をする。
「ほかにお気づきの点はありませんか」 自由記述欄。
「ゴールデンウィークフェア開催中なのに来店プレゼントがありませんでした」と気持ちをぶつける。
二時間後。玄関チャイム。辺りは暗くなっている。先程お会いした担当営業さん。ラップと洗剤とあと何か箱を持って「気付きませんで……」と恐縮している。
恐るべしアンケートシステム。その日のうちに担当者に「景品がないとクレームがあったぞ」と伝えられるのだ。上司から叱責されていないだろうか。私のアンケートのせいで。
ラップも洗剤も、白い箱の中身を見ることもなく、品物は妻にあげてしまった。
しばらくあのクルマ屋に行けそうにない。
