それは暮れも押し迫った日のことだった。ケータイの目覚ましアラームが鳴らなかった。電源が切れている。充電するとランプとキーが光る。本体を閉じると閉じますランプも光る。電源が入らない。試しに固定電話からかけてみるとつながらない。おおこれで誰にも邪魔されない年末年始が過ごせる。
ドドモショップへ。三十分ほど待つ。次の用事の時間になったので予約だけして帰る。年内は駄目で四日の予約である。本当に連絡がとれなくなった。（でも困ることはなかった）
時間はあるので考える。現在はフィーチャーフォンとスマートフォンの二台持ちである。ガラケーはドドモの一番安いバリューＳＳコースで、iモードはない。長年使っているので半額である。通話はほとんどしない。ショートメールはタダ。よって料金は千円くらい。スマホはニフモのデータ通信のみのコース。通話もショートメールもできない。プロバイダもニフティなので月に700円の固定である。合わせて1,700円。
平成も終わる。これは二台持ちからスマートフォン通話に乗り換えよという神託であろうか。シムカードを買い換えるので手数料3,000円がかかるが、月額料金は1,600円からとほぼ変わらない。妻にもニフモを持たせているのでファミリー何とかで得になるかもしれない。デメリットは電池の持たなさである。何かあったときに通話できないのでは意味がない。普段も常に充電を意識させられる。スマホに脳を乗っ取られるディストピア。
キッズケータイという手もある。電器屋で確認。昔見たのはボタンが三つあって、三か所にしかかけられないものだった。今は電話番号を五十件記憶できる。これなら実用に耐えうる。しかも圧倒的に安い。いい年をした男が「それでは先方に確認いたします」と背広のポケットから水色のキッズケータイを取り出したらちょっと楽しんでもらえるかもしれない。ファッションで言うハズシというやつである。
検索したところキッズは親の契約が必要なのではい消えた。
そうだ最大の問題はこれまで蓄積してきた電話番号である。二十年間で650件ほどある。この情報はお金では買えない。「みかか」のソフトウェア、データリンクにバックアップがあるはずだ。起動できない。何らかのdllがない。ウィンドウズ10にアップデートしたからか。データを見られないか。暗号化されている。さすがにテキストファイルなはずはないか。調べるとデータリンクも2015年で終わったようだ。
予約の日が来た。方針を決める。データが復旧できたらそのままドドモを使おう。できなかったらせっかくなのでニフモ通話に乗り換えよう。
若い兄ちゃんが「機種変更ですね。どれがいいですか？」などと脳天気に話しかける。彼としてはマニュアルのとおりなのだろうけれど、こちらとしてはまず今の機械が復活するかどうかで頭がいっぱいなのだ。
カウンターのお姉さんへ。いろいろつないで調べてくれる。
「電話帳データがＳＤカードに入っていればいいのですけれど」 頼む。
「入っていませんでした」
「本体が起動しませんのでデータをコピーできません。復旧サービスを使って修理拠点に送ることもできますが、極端な話一件しか復旧できなくても8,000円かかってしまいます」 正直。
愕然とする。仕事関係の番号はいい。面倒だが調べればいい。問題はプライベートだ。数は少ないかもしれないが、これまで友誼を結んだ人たちとどう連絡をとればいいのか。もう多分会わない人たちだって、「いつでも電話をかけることができる」という気持ちのつながりが永遠に失われるのだ。
……子供の頃からの友達。
……ネットで出会った人々。特にこの雑文を通して。
……もう亡くなった人もいる。通話はもうできないが、その人の名前があるだけで、確かに仲良くしていた時があるのだと実感できるのだ。
青臭い感傷と笑わば笑え。
お姉さんは新しい料金プランの説明をしている。本体は約四万円だが月々サポートで実質8,500円ほどになるのだと言う。でもちょっとその話が頭に入ってこない。
ごめん、お姉さん。ちょっと考える時間をください。
彼女は「信じられない」という顔をした。
数日をかけて頭を冷やした。過去は過去、あきらめよう。また一（いち）からやり直せばいいではないか。ドドモはやめて、ニフモ一台に絞る。時代はムーバでもフォーマでもない。ただ電話番号が変わるのは厄介だ。大勢の人に変更を頼んだり、ネットの情報を更新したりする手間を想像するだけで嫌になる。ＭＮＰことモバイル・ナンバー・ポータビリティー制度を活用するのだ。ネットで手続き。当然ドドモは「やめないで」「思い直して」という趣旨を言ってくる。「どうぞ乗り換えて」なんて言うはずはない。私は生まれ変わるのだ。「今一度ドドモをご検討ください」 心を鬼にして次へ進む。事務手数料をドドモに5,000円、ニフモに3,000円。これも仕方ない。ＭＮＰ予約番号を手に入れるのだ。そして新しい友情を築くのだ。解約ボタンをクリック。ぽちっとな。
「途中解約金 10,000円」
そういえば二年縛り契約をしていたのでした。契約は八月まで続く。今は一月。総額18,000円では完璧に費用負けしてしまう。
一週間後三度（みたび）ドドモに行って新しいフィーチャーフォンを買ってこの話はおしまい。
