７６・失敗学入門

「ぐすんぐすん」
「どうしたのシブルくん」
「マチコちゃん、今日もテストで名前を書き忘れて零点だったんだよ」
「あらまあ」
「しかも繰り下がりは間違えるし消しゴムは落ちるし落ちた消しゴムを拾ったら机に頭をぶつけるし」
「うわあ気の毒」
「おまけに気がついたら靴下が左右違うし」
「五年生でそれはちょっと」
「社会のテストでも、源頼朝の『いいくにつくろう鎌倉幕府』を『よいくに』だと思って『4192年』と答えちゃったし」
「今は1185年と習うのよ」
「どうしてぼくは失敗してばかりなんだろう」
「泣かないでシブルくん。そうだ、うちのおじさんは失敗学を研究しているの。おじさんに相談したらいいかもよ」
　ぴんぽーん。
「はい山田です」
「あ、家を間違えた」
　ぴんぽーん。
「いらっしゃい、マチコちゃん。そちらはお友達かな」
「印場シブルです。こんにちは」
「そっちは犬のクロよ。あんたは話が進まないのでおじさん、失敗ばかりで困っている彼の相談に乗ってやって」
「おほん、私は綾又蔵。エラー博士と呼ばれている。それではサイの失敗の話をしてやろう。君たちはサイにはシロサイとクロサイがあるのは知っているかな。これが写真だ」
「そんなに色は変わらないね」
「シロサイは口が横に広い。広いという意味のwideをwhiteと聞き間違えてシロサイだと思ってしまったのだ。それからシロサイと対にしてクロサイという名がついた」
「へー」
「白いシャツ、white shirtをＹシャツというのと逆だな。ときどきＧパンと書く人もいるが、jeansだからＪパンにすべきだ」
「Ｊパン」
「動物ではコマドリとアカヒゲというのも失敗だ」
　コマドリ　学名　Erithacus akahige
　アカヒゲ　学名　Erithacus komadori
「うわあ、思いっきり逆だ」
「さよう。幕末期シーボルトが日本の動物の標本など資料を持って帰ったときに、手違いで逆になってしまったのだ」
「これは直した方がいいでしょう」
「シブルくんはパソコンのキーボードは打ったことがあるかな。あれはもともとタイプライターという文字を打つ機械から来ているのだが、キーを打つとハンマーが活字を叩いて文字を印刷する。だから隣り合ったハンマーがお互い邪魔しないように、よく使う文字どうしを遠ざけ、速く打てないようにしたのだよ。しかしコンピュータの入力は電気でハンマーは使わないが、QWERTYと呼ばれる配列だけ残ってしまったのだ」
「どうせなら（）と［］を逆にして欲しかった」
「耳が聞こえない、あるいは聞き取りにくい障害を難聴という。外耳・中耳など外側にあって音を感じる部分に原因があるのを伝音性難聴、内耳・聴神経など内側にあって音を伝える部分に原因があるのを感音性難聴というのだ」
「中耳って中耳炎の中耳だね」
「土星の輪の順番というのもあるな。土星の輪は近付いてみると陸上のトラックのようにいくつもの筋に分かれている。内側からＤ環、Ｃ環、Ｂ環、Ａ環、Ｆ環、Ｇ環、Ｅ環と呼ばれている」
「ＡＢＣＤはまだわかるけど」
「地上からの観測ではＡＢＣの三つのリングはわかっていた。その後ボイジャー探査機が近付いて、ほかにも見えにくいリングがあることが観測されたのだ」
「これはまあ仕方ないでしょう」
「ほかにもある。カリブ諸島をインドだと思っていたコロンブス。燃焼は酸素と結びつく現象なのに、炎とは架空の物質フロギストンが逃げ出す姿だと思っていた昔の科学者。サンマルチノ・ブルーノを火刑にし、ガリレオに謝罪させたローマ教皇庁。人類の歴史は、失敗の歴史なのだよ」
「それはプロレスラーの人間発電所ですがな！」