４７・水をください
そして今年もまたマラソンの時期がやってきた。
何度も参加しここで文章にしているので「走るようになったきっかけは何ですか」と聞かれることがよくありそうだが私の場合はない。だから自分で書いてしまおう。
大学の寮にＴさんという先輩がいた。文化財科所属（すごい学科だ）で、夏の暑い盛りでも前方後円墳跡地で作業をし、昼はカップラーメンだけでまたひねもす発掘作業を続ける変人という評判である。人柄は温厚で、私も他の人なら怒られるところを何度も優しくしてもらった経験がある。人望もあり寮の総務委員長も務めたほどである。似ている芸能人は岡村隆史。
そのＴさんは高校時代陸上で長距離をやっていたという。もう読者各位には話がつながったと思うがそのＴさんに進められて１０㌔ロードレースに参加したのがきっかけである。
誘われたわりにその前日の飲み会ではきっちり飲んだちゃらんぽらんな私であるが、初ロードレースを５０分で乾燥したのである。からからになってどうする。完走である。まあ確かに渇いたが。これは下手な伏線です。
運動神経がイチロー並によいと断言するにいささかの躊躇を禁じえない私にとって（要はめちゃくちゃ悪いのだ）練習もろくろくせずに１０㌔走ることができた、というのは大きな地震である。それはハイチだ。自信である。言わずもがな。がなってなんだ。
それからたまたま職場に来た案内を見て応募し、現在に至るのがこのマラソンである。
やってみて初めてわかることだが、マラソン大会にはうれしいことがいくつかある。
まずは沿道の応援である。動員がかかっているのであろうが、沿道の人たちが手を振って、僕の泳ぎを眺めていたよ。泳いでない。
またこれは年によるが、会場入り口に中学生がずらり並んで「おはようございまーす」と元気に挨拶をするときもあった。窓から見える海千山千のランナーたちの顔がほころんでいる。なんでもないことのようだが、とても好印象である。雑文書きがずらり並んでもこうはいかない。
ゴールインした暁にはドリンクとお握り、地元特産の鍋スープをもらえる。これがうまい。ゴールしてすぐに物は食べられない。全力疾走した後にゆで卵やチーズコロッケを食べる人がいたら会ってみたい。いやよく考えると会いたくない。しかしうちのエイトックは「会いたい」より「逢いたい」を優先候補に出す。そこまで人生ドラマティックにしなくていい。
しかし「本当のランナーみたいだ」と思うのはなんだと思いますか。断トツトップで給水ポイントである。断トツって変な略語ですよね。「トップ」の略が「トツ」か。あれ。トップが重なった。
あなたはのどが渇いて渇いてしようがないときに、誰かに水のコップを出してもらったことがあるであろうか。「そんなの日常茶飯事だ」という幸せな人は読者にあまりいないと思うのでないことにして話を進める。ね、ないですよね。それがここでは飲み放題である。私のために水を用意してくれるのである。女性が。これが本当の水商売……下ネタ禁止です。
景気のいいときは水だけでなくエネルゲンもあったのだが、撤退してしまった。リーマンショックのせいか。よくわからないがリーマンという人が悪いことをしたのであろう。しかも兄弟で。
1984年のロス五輪で、ふらふらになりながらゴールした童話作家のようなランナーを覚えている方も多いであろう。そう、グリム兄弟である。嘘だぴょーん。別のランナーにボトルを落とされて給水できなかったそうだ。彼女を記念してコペンハーゲンにはふらふらになった人魚の像があるという。
折り返しコースなので同じ給水ポイントで行きと帰りと二度飲むことができる。これもやってみて初めてわかったことだが、走りながら水を飲むのは予想以上に難しい。下手をするとむせてしまう。最近ではなんと歩きながらクレープやアイスクリームを食べる人がいるらしいが、走りながらクレープやアイスクリームを食べる人は見たことがない。走りながら両手を左右に振る司会者はいるが。
ホノルルあたりでは立ち止まって飲むランナーもいるという。一分一秒を争うわけでなし、補給を優先するわけだ。しかし私は１０㌔だ。そんな暇はない。たいてい、半分飲んだらもう半分は頭からかけてしまう。水冷エンジンだ。頭で走るわけではないが。
今回もそうやって折り返し地点を過ぎ、残りは三分の一だ。給水ポイントが見える。テントの中でお姉さんたちが並べたコップに水を注いでいる。給水すると体が再び張り切りだすのは経験上わかっている。もうすぐだ。手を伸ばす。紙コップを選び、足を合わせる。
すかっ。
つかむことには成功したが、指先に水分を感じない。口に持っていくまでもない。
コップが空だったのだ。
「それはないよ！」と思わず叫んでしまった。走りながら。
「え？」と声に出して戸惑うお姉さん。
私は走っている。立ち止まることはできない。
どうして空のコップがテーブルの上にあったのか。「水を注いだコップを机上に置く」それを遵守するだけではないのか。コップをたくさん出しておいて水を注いだからこうなったのではないか。
もう考えても無駄である。私は前に進むしかない。と言うと格好いいが、大丈夫だ、みんなそうだ。ああ力が入らない。精神的にも痛い。
目標は５０分を切ることだった。それが駄目でも五十前半を目指していた。結果は５６分で、まるでだめ夫だぴょーん。
記録： ５６分２７秒
総合順位： ３６２位 ／ ５４６人中
種目順位： ７６位 ／ １１３人中
天候： 曇り
気温： １２．５℃
湿度： ８０．１％
東北東の風 ５．４ｍ