４２・思い出の場所
すべては一通のメールから始まった。
私が愛読しているニフティのポータルサイト『デイリーポータルＺ』の編集、Ｋさんからだ。
もちろんＫさんとは何の面識もない。私はデイリー（と略す）のライターでもなければ、こちらからメールを出したこともない。
むしろ記事中のＫさんの顔を見て怖いと思う。Ｋさんは目ぢから（と若い人は言うそうだ）があり、どんな写真でも仁王のように眼を見開いている。稲荷寿司が好きだと記憶している。
内容はこんな感じ。さすがにメールの無許可引用は避ける。この十倍は丁寧だが。
「『ちょっと見てきて』コーナーに投稿をいただきましたが、今度フジテレビが『めざましどようび』という番組で紹介したいという依頼がありました。取材をしたいそうです」
水割りを吹いた。そんなことあるのか。
ああそう言えばそんなこともしたっけ。すっかり忘れていた。私が学生時代に通っていた定食屋を見てきてと投稿したのだ。
「いいですよ」と返信する。
Ｋさんからメール。
「どうもありがとうございます。『めざましどようび』スタッフから直接連絡を取りたいと申し出がありました。電話番号を教えてください」
どんどん話が進んでいく。携電の番号を教える。
いよいよフジテレビから電話がかかってくるのだ。どうしよう。実は私は『めざましどようび』は見たことがない。仕事柄土曜日は朝早く出勤する。六時出発も珍しくない。では平日はどうかと言うと『おはよう日本』を見ている。朝から興味のないアイドルやドラマ、不幸の占いなど見せられるのが嫌で民放をやめたのだ。
Ｋさんから。
「電話番号は伝えました。今週の土曜日に放送されるそうなので私も見るつもりです」
早い。最初のメールが来たのが金曜日。このメールは水曜日。一週間で取材が終わるのか。
お店は「くるみ」という。定食屋だ。大学の寮のある東久留米の駅の近くにあった。寮には食堂があったが、調理の「おやじさん」が定年退職されてから、後任が補充されなかった。私は大学を終えてからくるみでどんぶりものを頼み、それから西武鉄道に乗ってアルバイトへ向かうことがよくあった。
木曜日。ついにフジテレビから電話がかかってくる。若い女性だ。
「藤丸（仮名）と申します。取材ご協力ありがとうございます。どうもお店がそのままあるらしいんですね。まだ行っていないんですが」
え。放送は明後日だぞ。間に合うのか。
「どういう関係があるのか」
「何か思い出はないか」
「調べて欲しいことはないか」
などを聞かれる。ええと。
ここで「一度財布を忘れたことに食べてから気付いて泣きそうになっていると、おじいさんが『今度来るときでいいから』とつけにしてくれました。そのお金を気になってはいたのですが返しそびれてしまいました。いつか返したいと思っていました」などと感動のストーリーをでっち上げればテレビ向けなのであろうが、さすがに嘘はまずい。
「チャンピオンが置かれていた」
「親子丼やカツ丼という定番のほかに、ポーク丼と肉丼があってその違いがわからない」
「味噌汁がおがくずの味がした」
という三つの情報を伝えた。古い記憶だが、私の記憶に間違いはない。
金曜日。藤丸さんから電話。若い女性から電話がかかってくるなんて数年ぶり。というか記憶にない。携電を買って以来初めてかもしれない。いつ彼女から電話が来るかと浮き浮きしているエブリデイ。
「ありましたよ！ 定食屋でなくて蕎麦処でした」
大きな記憶違い。
それ以外は店の場所、店内の構図など覚えていたとおり。
「チャンピオンは、種類に意味はないが、ただ必要なので置いていたそうです」
「ポーク丼は親子丼の肉を豚肉にしたもので玉子でとじている。肉丼はすきやきをごはんにのっけたもの」
取材してきたんだ！
味噌汁については言及はなかった。店の名誉のために付け加えると、東北と関東では味噌の味が違うためそう感じたのであろう。ごめんなさい。
「それでは電話取材ということで録音しますので、一度切ります」
ついに来た。
ところで『きままにクラシック』というラジオ番組がある。ときどき地方のホールで公開録音があるのだが、司会のショーフク亭ショーヘーさんが決まって聞くことがある。
「お名前は」
「どちらからいらっしゃいましたか」
ここまではいい。
「放送は何曜日の何時ですか」
クラシックなんて付き合いで来ただけやろ、という疑いが前提のギャグである。答えられなければ笑いを誘うし、答えられれば大いにほめて盛り上がる。
そんなことをされたらどうしよう。なにしろ出演者も知らないのだ。
電話。いつもの藤丸さんとは違う女性だ。
「お店なんですけど、……ありました！」 この演出！
「ありましたかあ?!」 こちらも大げさに驚いてみせる。
「ただ『定食屋』でなくて『蕎麦処』だったんですね」
「はあ」
「おじいさんが健在が知りたい、ということですけれども、ご主人は十年前に亡くなられました」
……。無銭飲食しなくてよかった。
「お店は別の人が継いで、ただご主人の奥様が週に何度かまだ店に出ているそうです」
それからポーク丼と肉丼の話。これは藤丸さんから聞いたとおり。
「このサイトに投稿したきっかけは何ですか」
「たまたま近所の公民館が投稿されていました。その写真を送ったところ、父親の疎開先で、涙を浮かべて思い出していたそうなんです。そこで私の思い出の店も見つけてもらえるかな、と思って」
よし。ナイスなストーリーだ。
「お店に通っていたのはいつの話ですか」
「ええと……」
驚く。これは二十年近く前の話なのだ。
「このサイトを使ってみてよかったなって思われますか」
「もうずっと昔のことで、忘れかけていたことなのに、こうやって誰かが調べてくれて、おじいさんは残念でしたが、おばあさんが健在でいらっしゃってよかったです。こういうことがあるとネットを使ってよかったなと思います。また、機会があればお店に行きたいと思います」
よし。完璧な締めだ。
藤丸さんからメール。金曜日の夜だ。
「顔写真が欲しいのでメールで送ってくれませんか」
来たよ。ついに全国デビューだ。
私の顔といえば二十年前のパスポートのものがさわやか醤油顔なのであるが、それは詐欺であろう。しかし写真がない。娘ポーシャや妻スージーの写真はよく撮るが、スージーは逆に私のを撮っててあげようという配慮がない。なんとか三つ用意した。
「イギリス新婚旅行」
「浅草寺の記念写真」
「旅館の浴衣姿」
どれもこれも帯に短したすきに長し。
そして土曜日。例によって仕事があったので録画で見る。
「ちょっと見てきて」が六十万人の見る人気サイトになっている。そうだったのか。
レポーターが一日何箇所見て回れるか、という企画になっている。炉端焼き、狸の置物、駄菓子屋、巨大錦鯉。
そして私の番。「十年以上前に通っていたお店、学生時代の疑問は解けるのか?!」などと煽られている。
出た、くるみ。
「意外に簡単に見つかりました」と男性レポーター。「思い出のお店はまだ存在しているのでしょうか?!」
はいここでＣＭ。ディアゴスティー二のバイクの模型。ミカワケン一が「美しくおなりなさい」と美容外科の宣伝。トー鳩。地震保険。スパグラ。
外はぼろぼろだが内装はすっかり新しくなっている。ポーク丼と肉丼の違いも二つ並べて一目瞭然だ。片方は玉子とじ、片方はそうでない。ポーク丼の蒲鉾を、うっすら思い出した。
電話取材の映像が始まった。こんなきれいな人と私は会話したのか。その画面の隅に本名と年齢が、顔写真とともに載っている。それは七年前のイギリス旅行の電車内のスナップである。
「謎が二十年ぶりに解けました」という私の言葉で終わっている。
見ているとポーシャが寄ってきて「なんかパパみたい」と言う。確かにパパだよ。ただ君の生まれていないころのだが。
スージーの感想。「ポーク丼と肉丼の違いなんて見ればわかるじゃない、そんなことをテレビ局に調べてもらったの」
ひがみはよくないことである。