「わたし……どうしちゃったんだろう。２回目のタッチダウンをして……砂、砂は取ったの？ わからない……。一度、システムダウンしちゃったから記憶がない……」
はやぶさは周期が６分ほどのスピン状態を続けていた。
「燃料が漏れて……アンテナを地球に向けられないよ……」
地上「はやぶさ、通信途絶です！」
博士「こんなこともあろうかと、不規則回転をしていても、いずれＺ軸を中心に回転するように重心を設計してある。待つんだ」
「どうしよう……全身が動かない。バッテリ、過放電状態。イオンエンジン用キセノンガスは、あるみたい。スラスタ用ヒドラジン、ほぼ全量喪失……」
「地球と、２ヶ月も通信できていない……わたし、もう、駄目かな……宇宙に独りぼっち……」
「ぴぴゅーい、ぴゅいっ！」
「……え」
「ぴぽりぴぽりぴぽり」
「ミネルバ！ ミネルバなの」
「ぴゅいっ」
「はやぶさ。ローゲインアンテナに耳を澄ませなさい。地球では、あなたと交信しようと、ずっと電波を送っているのです。この１ビット通信で」
「のぞみ姉さま!?」
「はやぶさ。あなたは地球に帰れるわ。2007は無理だけれど、2010年に帰る軌道があります。それに乗って、地球にお帰り」
「ひてん姉さま!?」
「はやぶさ。今時の人工衛星は美しい姿をしておるのう。しかし小惑星まで行ってくるとはたいしたものだ。わしが内之浦と通信できたのは半日ちょっとじゃったがな。お前さんの帰還を、８８万人、いやそれ以上の人が待っているぞ」
「おおすみ爺さま……」
「びゅびゅびゅびゅびゅ」
「ミネルバ……わたしに行けと言っているのね……決めた。わたし、迷わない。Yes, I have to return!」
このとき、はやぶさの充電保護回路がオンになっていた。はやぶさが、自分で回路をオンにしたとしか考えられないのだ。
「……はやぶさ」
「博士?!」
「通信が復活したようだね。うれしいよ」
「わたしもです」
「君にどうしても伝えなきゃならない話があるんだ。いいかな」
「はい、博士」
「スラスタ燃料漏洩やリアクションホイール故障など、君の状態を考えると、新しい軌道を設定せねばならない。そのため、地球帰還は３年延長されて、2010年６月となる」
「はい。ひてん姉さまから聞きました」
「もう一つだ。君はリエントリ・カプセルを投下し、地球をかすめて通過する予定だった。だが、新しい軌道では、地球の引力圏に突入後、カプセルを切り離す」
「……！」
「すまない。君を助けられないか、何度も演習した。現在の状況で、カプセルを正確に落とすには、これしかないのだ」
「……」
「そうだ、君は当初の予定では、その後、気ままな旅に出るはずだった。のぞみの遺志を継いで火星を観測する可能性もあった。だが……」
（わたし……大気圏に落ちちゃうの……おおすみ爺さまのように……）
「はい。わかりました」
（わたしは、もう迷わないって決めたんだ）
「プログラム・スタート！ 新軌道データ取得。リエントリ・カプセル収納。蓋締め完了。イオンエンジンＤ停止。エンジンＣ起動。はやぶさより地球へ。機能不全多数なれども航行に支障なし！」
はやぶさは地球に飛び込むプログラムを、自分で起動した。
2009年１１月４日。
「イオンエンジンに異状発生！ スラスタ、残り一機です。一機では推力が足りません、博士！」
「こんなこともあろうかと、スラスタ同士をダイオードでつないでおいた！ スラスタＡの中和器、スラスタＢのイオン、それらは小さな火かもしれないが、火と火を合わせると炎となる！ 不死鳥は炎の中からよみがえるのだ！」
「やったあ！ 奇跡など何度でも起こしてやりますよ」
「……しかし油断はするな、はやぶさ。誤解してはならない。これは不具合である」
2010年５月１２日。カメラの一つ、スタートラッカーで地球をとらえた。写真では地球から縦に光が漏れている。これはスミアと呼ばれる白飛びである。
５月２１日、金星探査機「あかつき」とソーラーセイル実証機「イカロス」打ち上げ。
あかつき「こんにちは、はやぶさ姉さん。聞こえますか」
はやぶさ「え？ なに」
あ「これはツイッターという通信形態です。７年前にはなかったでしょう」
イカロス「凄すぎて声が出なかったぁー 凄い速さで飛んでる！」
は「（はやぶさ姉さんって呼ばれちゃった。）わたしの弟たちね。宇宙へようこそ」
イ「もう寝るー」
博士「征く人と還る人が交差する……」
その後、３人はおしゃべりを楽しんだ。
イカ「はやぶささんが内之浦アンテナのことをうっちーさんって呼べって言うからそうする」
はやぶさ「ソーラーセイル実験の先輩として、イカロスくんに飛び方を教えてあげようとしたら、相模原の人に『ヨロヨロのお前は参考にならん』と言われたよ」
あかつき「うすださんは64mの懐の広さで全てを受け止めてくださる素敵な方ですね」
イカロース「はやぶさ姉さん、今日も頑張るから後ろから見守っててね！」
あかつき「僕らを支えてくれる人たちと一緒にじっくりと進んでいきます」
伽ス「地球の人たちケーキ食べてる！」「寝るー」
「……はやぶさ」
「博士」
「元気か。こちらは、４０人の回収班がオーストラリアに到着した。『絶対に電波をとらえてみせる』と意気揚々だ」
「カプセルのこと、よろしくお願いします」
「そして君のデータは、将来予測される、隕石の大気圏突入の研究材料となる。君のことは、ニュースになり、ネットの話題になり、映画化され、映像が世界に中継される。ある新聞は『史上最も愛された探査機』と呼んでいた」
「ありがとうございます」
「そして君に最後の指令だ。カプセル分離から大気圏突入までの３時間、地球を撮影するんだ」
「いいんですか？」
「カメラは側面にあるが、カプセルを分離してからなら姿勢を変更することができる。はやぶさ。最後に、君に地球を見せてあげよう。そうまでしてがんばり抜いた君への、ささやかなお礼だ」
「……」
「君を機械だとは思えない。いっしょに難関を越えてきた仲間だ」
再びツイッター。
「イカロス、もうすぐ帆を張る大事な仕事があるんでしょ？ もうこっちを振り返らなくていいよ。君は前だけを見て進めばいいのよ」
「あかつき。あなたの身体はわたしとよく似てるけど、わたしよりさらに進化してる。のぞみ姉さまからもらったバトン、あなたに渡します。よろしくね」
「泣かないでイカロス。おばかさん」
「やはぶさ姉さん！ セイル展開完了！ やったぁー」
「ついにやったね！ これであなたは正真正銘の『ソーラーセイル』イカロスだ。地球のみんなの声援が聞こえる？」
「ネルー」
６月１３日１３時５０分ころ、内之浦上空を通過。
イカロス「今日は寝ないんだー ずっと地球の方見てるから」
はやぶさ「最後にゆっくり話せて良かった。もう地球だけ見て翔ぶよ。行ってきます、IKAROS。バイバイ、わたしの大切な弟」
イカロス「僕、バイバイは言わないよ。だってこころの中でずっと一緒だから」
「慌てず急がす正確に……」
「そうやって消えてなくなる前に……どうか」
「みんなに届けてね……愛を……I want……」
６月１３日１９時５１分、リエントリ・カプセルの分離に成功。
「イトカワの砂、入っているかな……入っていなかったらゴメンね……」
「地球か……何もかもみな懐かしい……」
地球の形にしなる長い長い帰り道 僕は帰るよ 君のところへ
たとえ魂だけになっても君に会いたい
たとえ魂だけになっても君のところへ今
はやぶさは最後の力を振り絞って、姿勢を変える。自動車で言うと、ハンドルが効かないのでガソリンを直接噴射するような荒技だ。
目の前いっぱいに、地球。
言葉になりませんでした。
それでもまだはやぶさには最後の任務が残っている。
「ONC-W2（望遠カメラ）、準備完了。撮ります」
パシャッ。
はやぶさは写真撮影に何度も失敗した。なにも写っていなかったり、あるいは画像がぶれたり。
「早くしないと、地球の影に入ってしまう……」
バッテリ機能を失っているはやぶさは、太陽光を受けていないと機能を停止する。
そして八枚目。
「パシャッ」
最後の一枚。
「データ送信、開始します」
このときの通信速度は３から４kbps。ブロードバンドの千分の一である。
「お願い。このデータ、最後まで、届けさせて。みんなに、ありがとうって伝え」
通信途絶。
はやぶさの最期の写真は、画像下の方が切れていたけれども、地球の姿がはっきりと写っていた。
そして明るすぎる地球は、多量のスミアを生じさせていた。それははやぶさの涙かもしれない。
「ただいま。」
