８・匕（さじ）は投げられた
困ったことが起きた。私の目の前にあるのはところところ塗装がはげた眼鏡。いやそれより異常なのは、左のつるが切断されていることだ。
『汝、左のつるを折られたら、右のつるを出しなさい』 ―――性書
何かあったときのために詳しくは書けないが、昨夜、とある人と喧嘩をした際、彼女はその日買ったばかりで値札が付いたままの厚底サンダルで私を殴打したのだ。パトリック殴打事件。私は左腕で６発の攻撃をブロックした（ちなみに翌日腕は腫れていた）。第一次攻撃を防いで油断したか、次の角度を変えた一撃は私のこめかみを痛打した。吹っ飛ぶ眼鏡。近視のご同輩には理解していただけると思うが、弱視の者が落ちた眼鏡を拾うのは至難の業である。特に眼鏡が破壊されている場合は。
『めくらの国では片目が王様』 ―――放送禁止
さて出勤だ。とりあえず数年前の弱い眼鏡をかけ、暗澹とした気分で仕事。暗澹とした気分で帰宅。
すると、パソコン関係をまとめた電源タップがコンセントから外れている。当然、パソコンやモニタの電源は切れている。私は白血病解析分散コンピューティングに参加しているので、パソコンの電源をつけっぱなしにしている。それが止められた、ということだ。舌打ちしつつ、プラグを刺し、電源ボタンを押す。
起動途中、止まった。「system32がありません」 そんな大切なディレクトリが丸ごとなくなったら動くわけはない。ＣＤブートし、回復コンソールで見ることにする。
ドライブＡ： ＝ フロッピーディスクドライブ
ドライブＢ： ＝ なし
ドライブＣ： ＝ ＣＤドライブ
ドライブＤ： ＝ よくわからないファイル三つ
『いけェ！ ドライブシュートだ！！』 ―――ジェトーリオ（ブラジル）
『そうなんども ぬかれてたまるか〜〜〜！』 ―――もりさき（静岡）
『だが とどかない！』
『ポストにちょくげき！ ボールが はれつした！！』 ―――アナウンサー（おなじみ）
ディレクトリどころか、ウィンドウズＸＰのドライブそのものが見えなくなっている。３０分ほど悪戦苦闘するが、その努力は報われない。巨大な喪失感に押し潰されそうだ。ウェブページのデータ。デジカメで撮った記念写真。ウェブブラウザのお気に入り。信長の野望のセーブデータ。何といっても、テキストファイルに打ち込んだ各種ＩＤとパスワードはどうなる。各種カード、ウェブサービスのそれらを復活させるのは大変だ。私の人生の１６％（推定）は失われたも同然だ。
『転ばぬ先のバックアップ』 ―――Googleで約536件
なじみの業者さんのところに持っていく。バイオスをいじるが、結局ハードディスクドライブそのものが認識されていない。他のパソコンにつなぐと、あっさり認識した。やったぜ。ありがとう神様。ありがとう業者さん、私の師匠。さっそく別のハードディスクにデータを退避させる。"MYDOC"ディレクトリ、ユーティリティのディレクトリ。些事にこだわるようだが、やり残したデータがないかと、緊張する。
「私がやりましょうか」と、師匠。
いや、「ちょっと秘密の動画」や「特選お宝画像」があるので、おいそれとは他人には見せられない。しかも最近のウィンドウズはたやすくサムネイルが出るようになっているので油断がならない。
「コピー終了予定時間 １時間１０分」 何だそれは。
『秘すれば花』（隠しているのは、きれいな女の子の画像ばかりである） ―――諷刺花伝
せっかくなので、眼鏡屋に行くことにする。茨城訛りで有名な手品師が宣伝している、ツー萬円堂だ。
「こちらの部品はありません」 ああ、Haikuブランドで気に入っていたのに。
「ただ、レンズを利用することはできます」
話を聞けば、レンズを外し、ツーポイントの形に穴を開け、新しいフレームを取り付けるというもの。華奢と言ってもいいほど軽い、チタン製のフレームである。予定額の６割で済んだ。
『ここに縦縞のハンカチがあるのね。それを手の中でごにょごにょとするうちに、あら、横縞のハンカチに化けてしまうのね。』 ―――サジー司郎
店に戻って再インストール。ところが「インストーラに内部エラーが発生しました」とのこと。こうなるともう救いようがない。メーカーに送ることにする。
かくしてこの雑文は、クロック周波数３００ＭＨｚのデル製のノートパソコンで書いている。ＣＤドライブも壊れて引き出せず、バッテリーも劣化して外さないと動かないというほうほうの体。あと四日、デスクトップの修理は間に合わないであろう。最後の一花を、第七回雑文祭というイベントで咲かすか。
『失敗する可能性のあるものは、失敗する』 ―――マーフィーズ・ゴースト
うまくいくのか、雑文祭。まったく予断を許さない。来年はいい年でありますように。いやまだそれを言うには早い。