どうしてこんなことになったのか。
夏休みに帰省したポーシャは、いつか東京に戻る。
秋田にいる間は、夜更かしをして昼ごろ起きてくるか、友達と遊びに行くかのどちららかで、家族でお出かけが一度もなかった。
ゴールデンウィークは菜の花畑を見に行って、みんなでラーメンを食べた。そんなイベントはなかった。
だから東京に送るときにたくさんおしゃべりをしようと思っていたのだ。
しかしポーシャは今日は私には一言も口を利かず、助手席でスマホをいじくっている。なんだこれ。
帰省が終わりになるころ、私は告げた。「東京に帰る日の前日は半休を取るから、荷物を全部積んでしまおう。当日はただ出発するだけにしよう。クルマの鍵はここに置く」 三月末に出発するときに「あれも積みたい、これも持ってけ」といつまでも終わらなかかったからだ。「朝７：３０出発」と告げてメモも掲示した。
積んでいない。
当日朝。積み込みは私に任せる気であろうとわかっていたので荷物を積む。そんなに多くない。
７時。起こす。「起きて」 妻子が寝ている部屋のドアを叩く。「起きろ」
お盆明けで東京に近づくに連れて渋滞が予想される。早く休みたい。私が居眠りをしたら大変なことになる。
「起きろ、起きろ」 どかどか。「間に合わなくなっちゃうよ」
夜の３時ころトイレに起きたらポーシャはまだ起きていた。荷造りをしていたのであろう。
７：１５、アラームが聞こえる。ポーシャがセットしたのであろう。
話が見えないので「あろう」ばっかりだ。
部屋の中からスージーが怒鳴り返した。「いい加減にして」
「ポーシャは怖がっているよ。布団の中で震えて。パトリックと行きたくないって新幹線やバスを検索しているよ」 は？
一時間半遅れて９時、出発となった。ポーシャとスージーを写真に撮る。「私も」と言うと三人で撮った。しかしスージーは写真データを私に送ったことはない。「私も撮りたい」と主張したが、ポーシャは無視してクルマに向かった。
山形との県境へ。まだ会話はない。電話。スージーからだ。
「うん……大丈夫……漫画見てた」
私との会話よりスマホ漫画を選ぶとは。
初めての会話はこれ。
「キーボード積んだ？」
大切なものなら自分で積むべきだろう、と思ったが今は言えない。
道の駅へ。「飲み物が欲しい」 自販機でカルピスを買う。
看板を見て「ソフトクリーム食べたい」 行きのときに買えなかったラ・フランスソフトクリームがあるのだ。
「ごめんなさいね、品切れなの」
「じゃあだだちゃ豆ソフトでいいです」
ＪＡＦカードを見せると400円から50円引き。こんなことで喜ぶ小市民の自分が悲しい。
「だだちゃ豆ソフト、どんな味がするの」
「（無視）」
だだちゃ豆ソフトクリームの味を知りたいわけではない。だだちゃ豆の味がするに決まっている。ポーシャを会話をしたいのだ。
二つ目の道の駅へ。私はトイレに行く。ポーシャはふらりとどこかへ行った。ふだんなら「待ってる」「何々を見てくる」と言うはずなのに。
ポーシャを探す。いた。後ろから近づく。私を見て飛び上がって驚く。
新潟の黒埼サービスエリアへ。「カルピスを貸して」「？」「クーラーボックスに入れてあげるよ」「！」 今日初めて笑顔を見せた。
ここは東京に行くときに背脂ラーメンを食べたところだ。「モスバーガーと食堂がある。富山ブラックカレーラーメンもあるよ」
両方見たポーシャは、「定食じゃなきゃ駄目？」 いやモスバーガーでいいよ。
モスバーガーはおいしかった。期間限定のチーズたっぷりの「白いモスバーガー」。
おいしいものを食べて気分が上がったところで、「写真を撮ってもいい？」「いや、いいです」
あごにモスのソースを付けている。鏡を見るように言う。そのへんは子供。
湯沢を通過する。ゲレンデとホテル。こういう景色は見たことがないであろう。うんちくを披露する。「ここがスキーリゾート。ホテルを出てすぐゲレンデなんだよ」
スマホで景色を撮る。「ぱしゃんっ！」
「シャッター音、大きいね」
「アイフォンは大きいの」 私が東京についた日にiPhoneSEを買わされたのだ。
「だからテスト範囲を撮影するとき、アイフォン派はアンドロイド派に頼んでいたの」
「大学ってスマホ使っちゃいけないの」
「高校のときの話」
ようやく会話らしい会話ができた。
土樽パーキングエリアで休憩。客はいない。工事の人が数名休んでいるだけ。蝉の声が途切れない。
「この自然の中で、一枚、頼むよ。この夏はまだきみの写真を撮っていない」
まだポーシャは許してはいなかった。
埼玉県に入り、日が傾いてきた。「トイレに行く？」「うん」「では高坂に入ろう」
あっ。見逃した。「ごめんごめん」 集中力を欠いてきた。
次の三芳パーキングエリアに入る。これが大当たり。パーキングエリアだがちょっとしたショッピングモール並の広さがある。ポーシャの目が輝く。売り場を一周。「親子丼がいい」「あとで抹茶ゼリーも」
親子丼はおいしかった。チキンカツはさくさく。甘い玉子の合間に酸っぱい梅干しを食べる。夏の味噌汁は元気をくれる。
パン屋でとろけるチーズパン。お茶屋で抹茶ゼリーソフト。スージーに狭山茶のお土産。1,200円以上買ってＪＡＦカードを見せるとペットボトルのお茶がもらえる。ＪＡＦの回し者みたいだが、来月でＪＡＦ会員の権利が切れるので使っておこうというみみっちい魂胆である。
「ポーシャ、お願いだよ。スージーに写真を送るから」
ここまでしても彼女は写真を許さない。The girl wouldn't let me take her picture.（YMO: SEOUL MUSIC）
東京。高速を下りて狭い道をゆく。何十年ぶりに走る道もある。自転車ナビマークを走る自転車を引っ掛けそうになって怖くなる。
大学へ。朝の９時に出て着いたのは午後８時。これから荷物を下ろす。入学時は特別に寮の玄関まで車を入れることができたが、今はそうではない。二人で三往復ほど歩く。
重い荷物がある。食品ダンボールと、米10kg。
「今は管理人さんがいないから、入ってもいいよ」 いいのか。
「ほかの学生が見たら、どう思う？」
「あ、親だ、と思うだけ」
私はポーシャが父親といるところをほかの学生に見られるのを嫌がるのではないかと心配したが、そういうことはないらしい。
長居はしていられない。
「元気でな。応援しているからな。なにかあったら遠慮なく連絡して」
「うん」と今日最高の笑顔を、ようやく、見せた。
